エレキギターのテクニックのひとつにチョーキングというのがある。
左手で抑えた弦を、抑えたままぐぐっと持ち上げて弦のテンション(張り)を強め、通常より高い音を鳴らすという技である。
この音の上下加減は人間の指先次第で、そこに各人それぞれの味付けがなされる。
所謂「泣きのギター」と呼ばれるものもチョーキングに依る。
私も昔日、やっとエレキギターを手にし、戦さ場へ攻め込もうと、教本と睨めっこしていた。
課題を次々消化していく。
チョーキングの項には、「ドアノブを捻るように」と指南があった。
「ドアノブを捻るように」。
全くもって意味がわからない。
そのせいか、私のチョーキングもなんとも情けない音しか鳴らない。
教本をもう一度眺める。
「ドアノブを捻るように」。
情けない音。
…。
これは、どう思案しても「ドアノブを捻るように」というのだから、ドアノブを捻り、その感覚を習得しなければならないということである。
我が家のドアノブをがちゃがちゃ回す。
両親の訝しむ目つきが度々私を刺すが、私は今ロックンロールの練習をしているのだ、邪魔するでない。
日が暮れるまで存分にドアノブを捻ってみた。
が、チョーキングは相も変わらず情けない音。
これはおそらくドアノブの気持ちが理解しきれていない、ということである。
ならば私はまだドアノブをがちゃがちゃせねばならない。
それから季節も移り変わる頃、ようやっとチョーキングができるようになった。
しかし、来る日も来る日もドアノブをがちゃがちゃしていただけの自分は、未だギターが満足に弾けない。