ツチヤンの生活日記

将来にはのび太くんになりたい28歳 ♂ in 名古屋 (・土・) 。※このツチヤンはフィクションです。

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コロコロ (完全版) No.048

※投稿後、修正を行ったのでタイトルを完全版と改めさせていただきました(・土・)。


この頃、あまり文章を書くモードに入って行かれなくて、無理して捻り出してもろくな文章にならないし、まあそれはそれで仕方ないと思いつつも何処か惜しい、といった感じ。だのでもっとお気楽に書いてみようかしら?なんてそんな塩梅でMr.ジョブズの作った64GBの筆を執りました。

今日は久方ぶりに休日の午前7時だか8時だかに目を覚まして、起き上がった。いやしかし、夏の暑さのせいで心身共にいくらか多分に参っている!TwitterのTLを眺めて見ても体調を崩している人が散見される。ボクだけじゃないと思ったら少し連帯意識を感じて安堵したけれど、皆んなで励まし合って夏を乗り切りましょうね、なんとか。

ボクの寝床はクーラーの真下に設置されていて、これはやはり心身に悪いかしら?なんて以前から案じていたので移動をさせる事にした。布団を除け、枕を除け、文庫本を除け、iPhoneを除け、シーツを除け、ベッドを除ける。少しずつ少しずつ手前から後ろから、引き摺って押し出してなんとか移動を完了させる。とてつもない戦いであった。乾いた口に水道水が美味しい。このまま一休みと行きたいところだが、本当の戦いはこれからだ。長い間ベッドを動かしていなかったので、元あった場所には盛大な埃の塊、そして毛!毛!毛!毛!…さぁお掃除の時間です。

ただ、ボクはどうしても掃除機というものが苦手である。ワーンとその誰にも憚ることのない無遠慮でフルボリュームな駆動音を聞いていると、自分の存在はまるで無視されて隅っこに追いやられている様な心持ちになってしまう。悲しくて辛い。涙が出そうになる。なのでボクは出来る限り、掃除機という存在から避難して生きてきた。彼らにはもっと他人の事を考えて生きていって欲しいと思う。

そんなボクが愛用する道具は所謂コロコロだ。コロコロは寡黙で、ボクに優しく掃除をさせてくれる。コロコロは、間違いなく世界で一番素晴らしい掃除道具だ。ただ一つ注意をしなければならないのは、コロコロをする方向である。よく考えて計算をしてからコロコロをしないと、コロコロの粘着シートが床に張り付いてしまうのだ。元に巻き戻してみても、コロコロの粘着シートはガタガタになってしまってその効力を十分に発揮できない。でも大丈夫、なんたってボクはこのコロコロに関しては随分と把握をしている。この取っ手の出っ張りが右にある時、前に押し出す様にコロコロをすれば良いのだ。そうすればコロコロを完遂できる。ただしここでもう一つ気をつけなければならないことがある!それは決して先と反対の、手前側に引くコロコロをしてはいけないということだ。そうするとコロコロの粘着シートが床に張り付いてしまう。でも大丈夫。なんたってボクはこのコロコロに関しては随分と把握をしている。何度失敗したと思っているんだ。

コロコロの粘着力が弱まったと思ったらコロコロの粘着シートを剥がさなければならない。必死になって前回の切れ端を捜索し、指で捲って千切る。粘着シートには大量の塵芥が付着している。気味が悪い。が、ようく観察をしてみた。埃、滓、屑、そして毛!毛!毛!毛!これじゃゴミのオムニバスアルバムだ。しかしその一つ一つは元々自分を構成していた存在である。そう考えていたら少し愛せる様な気がした。丁寧に内側に四つ折りし、ゴミ箱へ入れた。それにしてもこの大量の埃はどこから現出したのだろう。不思議でたまらない。埃は実は生きていて日々成長、増殖を行っているのだろうか?僕の部屋の七不思議の一つに数えておきたい。残りの六つはこれから探すことにする。

コロコロのシートを3回も変えた頃には部屋も小綺麗になり、僕の部屋は夏と闘う態勢を完了させた。シャツも汗に塗れて、ボクもすっかり草臥れてしまった。一つ欠伸を吐き出すとなんだかいい気持ちがしてそのまま横になって眠った。




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一人称変更手続 No.047

一人称とは自分、または自分たちを含む仲間を指示する人称である。

僕、俺、私、わし、おい、あちき、あっし、拙者、小生、我輩。
僕たち、私たち。みんなは一人のために。
ラブアンドピース。

小学生の時分、「いつまでも『ボク』なんて言っていると馬鹿にされる。」と考えていた。
ただ、急に「オレ」なんて言い出すのも格好つけてるみたいで気恥ずかしい。
自意識を入り組んだ路地みたいに拗らせていつまでも一人称が曖昧だった。

中学生の時分、女子が皆せーので合図したように、一様に一人称を「ウチ」にしていることに気づいて、堪らなくなったことがある。
自分をなんと呼ぼうが勿論各人の勝手だが、流行り文句みたいに口を揃えるのに憤然としていた。
お陰で神経は失調し、腹を下す毎日。
便所に籠っては世の女子達に恨みを募らせておった。

ただそんなある日、「ラムちゃんも『ウチ』って言ってたなぁ」なんて気づいた途端、偏執はつるっと溶けてしまった。
爾後、腹の調子も悪くない。快便快便。つるっと。
さすがラムちゃん、さすが高橋留美子先生。
ああ、ありがとう。つるっとつるっと。

ただ、それからまた暫くしてラムちゃんの「チ」と流行りの「ウ」の発音が違うことに気づき、再び世に呪詛を振り撒くのだった。うるせえ。


1996年 No.046

覚えている1番古い記憶というと多分、妹が産まれるというので母が入院し、父の実家に2人で世話になっていた時の話。妹は今年成人式を迎え、現在20歳。つまりこの話は20年も昔の事なのだが、その当時の様子が明瞭に未だ頭にある。僕は2歳だった。

入浴中、父が頭を洗っていて目を離した隙に湯船で溺れた時の水中の様子。レンタルしたドラえもんのビデオを表と裏を逆さまに挿れてしまって取り出せなくなった。父に手を引かれ歩いた夜道。ソフトクリームの置物、灰皿。じいちゃんに連れて行ってもらった長い滑り台、動物園。車に乗っていたら交差点で蛇に襲われる悪夢。なぜかベッドの下で目を覚ました。庭の植木に成る小さな青い実。病院の売店でばあちゃんにいつも買ってもらっていたアンパンマンのチョコレート菓子。スーパーで買ってもらったおまけ付きソーセージ。父と蝉を取りに行く途中、線路の中を横断した。家の前を走る電車の音。クレヨンで居間に絵を描こうとしたらひどく叱られた。車や飛行機に乗っている動物たちのパズル。折りたたみの簡易机。UCCコーヒー。玄米茶。たくたくと成る振り子時計。壁の木材から滲み出て固まった樹液。青い工具箱。空っぽの大きな水槽。

何故こんなにも20年前の幼児期の記憶があるのかというと、恐らく何度も記憶を反芻したせいだろう。ただ、故意に記憶を揺さぶってきた訳ではない。何かにつけて連鎖反応的に情景が思い起こされ、結果的に何度も何度も上書きされていったのだ。何度も何度も、何度も何度も上塗りが繰り返されたのだろう。それは勿論幼児期のことだけでなく。

そういった性分を持ち合わせているために、私は生まれてこの方、この心臓の鋭く深い拍動を抑えられずにいる。


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