[フル] 筋肉少女帯「中2病の神ドロシー 〜筋肉少女帯メジャーデビュー25th記念曲」
中二病という病がある。
大変に恐ろしい病で若年時に発症すると、その後遺症に生涯苛まれることもあるという。
所謂中二病を改めて定義すると、それは中学2年生、14歳といった時分の幼さ(若さではない)、浅学による無知、臆面のなさを併せ持った偏屈な心理を言うのと思う。つまり単に心身に異形のものを宿したりすることを指すのではない。
謂わば誰もが通る、心身の形成途上における通過儀礼であると考える。
(余談ではあるが、中二病という言葉を作り出したのは伊集院光氏である。なお現在の中二病という言葉は本人が語り出した当時と異なる意味合いで使われている。)
もう僕の作った時の意味と違うから言葉自体に興味無いです。RT @kiku_yarou @HikaruIjuin 伊集院さん、「中二病コミック」という本をご覧になった事がありますか?・・・いや言葉の発案者としてどう思ってるのかなあ…と前々から気になっていたので…。
— 伊集院光 (@HikaruIjuin) 2009, 12月 4
さて、そんな時分8年前にツチヤン少年14歳は何を考えていたのか。
恐ろしいことに当時書いた文章を発掘したので以下そっくりそのまま貼付したい。
1,エジソンについて考える(2008/02/22 14:07)
※注意 人間の考えは十人十色です。もちろん私とあなたの考えも違っています。つまりこの文にたいして、納得がいかずに異議を申し立てるのであれば、あくまで自分の意見として述べてください。感想やあなたが考えたことなんかもバンバンコメントしていってください。「天才は99%の汗と1%のひらめき」という言葉を残し、あの踊るぽんぽこりんの歌詞にもなり、誰もが知っているアメリカの天才発明家「トーマス・アルヴァ・エジソン」は数多くの発明品を残した。このエジソンに異議を申し立てたいと思う。
「天才は99%の汗と1%のひらめき」に異議を申し立てる
99%の汗と1%のひらめき?何を言っているんだこの外人は。まず99%の汗ってどんだけAK(汗臭い)なんだよ。・・・・・・という本音は抑えつつ、思考を働かせていこうと思う。
99%の汗。すなわちいっぱい働く、もしくは努力をすることを指すのだろう。1%のひらめき。すなわち努力をしたものが少しのひらめきをもとに、柔軟に思考を広げ、発明をする。あくまでも僕はこうとらえた。しかしだ、99%の努力に対し、1%のひらめきとはどうなのだろうか。確かに努力をしなければ何も始まらない。努力しなくてもいい人間は、一回で教科書の内容を覚え、すべての問題を解ける100点続出マンだ。だが、しかしだ。そんなにも努力をする人間はいない。また、1%のひらめき。なんなんだ、これは?要するにひらめけということか。(要していない)なるほど・・・。ひらめくことのできる才能が必要なのだな?このような点からみていくと、エジソンの言葉はこういう風に変えることができる。
「天才は99%努力のできる根気のいい才能を持った人間が、果てしないひらめきを生み出す脳みそを持った人間である。」
完全にこれは才能が必要だぜ!この馬鹿な一般人どもがぁ!というエジソンの僕ら一般人を馬鹿にした言葉なのだ。ならばいっそのこと
「天才とは才能を持つ者にのみ、なりえることのできる領域に存在している」
くらいにいってもよかったのではないだろうか?
今回の結論
エジソンは若干ナルシストだった。そして僕は強引に思考をを広げるバカ野郎だった。orz「天才とは30%の努力と30%のひらめきと40%の娯楽である」byツチヤン
→次回予告:2,モテルについて考える
エジソンに喧嘩を売っていた。
要するに阿呆なのだ。中二病とは自分の阿保さを世界に喧伝することを言う。
恥を感じないこともないが、それ以上に阿保さが我ながら愉快だった。
ちなみにその2は更新されなかったようである。
しかし、理屈は滅茶苦茶でも、今後こんな勢いのある文章を二度とかける気がしない。これが若さか。
子供と大人では世界の見え方が違うという。
大人はこれまでの人生経験に即して世界を捉える。子供は目に映るものを映ったように受け取る。
それを無知であるというか、独創的であるというかは各人の持ち合わせている常識の裁量次第だろう。
インターネットが発達したこの21世紀で、大勢の人間の意識が可視化されるが、どうか現代の彼ら彼女らには、侮蔑ではなく温かい目を向けてあげて欲しい。少なくとも僕はそうする(-土-)。
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